毎月2回お送りしているメルマガですが、今晩配信の164号の参考図のファイルをダウンロード用に添付します。ご興味がある方はダウンロードしてください。念のため、メルマガ本文も貼り付けます。参考図のくだりは「2」の途中にあります。 日銀総裁が空席となり、予算・税制は山場。国会はいよいよ佳境を迎えています。日銀人事に関しては、「野党が悪い」「与党が悪い」といろいろなご意見があると思いますが、僕の出身組織の話であり、また研究者としてもこの分野を専門のひとつとしていますので、この際、日銀問題のポイントを説明させて頂きます。新聞やテレビの解説よりも客観的かつ冷静な説明に努めますので、得心できましたら、是非多くの皆さんとご議論頂きたいと思います。
1.財金分離の2つの意味
日銀は1882年にわが国の中央銀行として設立され、1.発券銀行、2.政府の銀行(国庫金の取扱い)、3.銀行の銀行(銀行に資金供給をする最後の貸し手)の3つの機能を果たすとともに、その過程で、景気動向の調査・分析、金利操作、国債売買、銀行券の発行・回収などを行い、金融政策を企画・運営しています。
1998年(平成10年)4月、戦前からの旧日銀法は全面改正され、新日銀法が施行されました。バブル発生の背景には金融緩和を望む政治や財政当局から日銀への圧力が影響していたという反省に基づいて行われたものです。
こうした経緯を背景に、「財政と金融の分離」すなわち「財金分離」が重要な論点となりました。つまり、財政当局から金融当局が不適切な圧力を受けない工夫です。財金分離には2つの意味があります。
第1は、金融政策が財政当局の圧力で歪められないこと。それを担保する手段のひとつが人事です。金融政策に歪みを生じさない人を日銀幹部に任命する必要があります。
第2は、金融行政を財政当局から切り離すこと。当時の財政当局(大蔵省)は銀行や証券会社の監督権限(金融行政の権限)も有していました。金融行政も財政当局から圧力を受け、バブルを誘発する甘い融資や粉飾決算の黙認、財政当局幹部と金融界幹部の癒着があったという反省に立ち、財金分離の必要性が叫ばれました。その結果、省庁再編の際に大蔵省は解体され、財務省と金融庁(内閣府の外局)に分かれたのです。
以上のように、金融当局には日本銀行と金融庁の両方が含まれ、前者が金融政策、後者が金融行政を担っています。
今回の日銀人事を巡る論争の中で、「財金分離は終わっているので、誰が総裁になっても問題ない」という主張も聞かれましたが、この主張は財金分離の2つの意味を混同している、あるいは主に第2の意味からの指摘であることがご理解頂けると思います。
2.中央銀行の独立性と政策委員会
新日銀法第3条では中央銀行の独立性が明記され、それを担保するために第25条で役員(正副総裁、審議委員)の解任禁止規定が盛り込まれました。一度任命されたら解任されない強い立場であることから、任命には国会の同意が必要とされました。
一方、第4条では、金融政策と政府の経済政策の整合性を保つために、日銀が政府と連絡、意思疎通を密にするようにとの規定が置かれました。
つまり、第3条と第4条のバランスをどのようにとるかという点が、日銀役員に課せられた重要な責務です。その判断を誤ると、バブルの再来、財政赤字の安易な拡大、経済の混乱などの弊害を招きます。
判断の際の基準となるのが、第1条の目的(信用秩序の維持など)、第2条の理念(物価の安定、国民経済の健全な発展)です。
なお、第3条と第4条のバランスをとるために、第3条では中央銀行の独立性とは書かれず、日本銀行の自主性と記述されました。こんなところにも、この問題の難しさが垣間見えます。
日銀法改正の際には、スリーピングボード(居眠りしている委員会)と揶揄(やゆ)された政策委員会の機能不全もバブル発生を防げなかった原因のひとつとされ、政策委員会の活性化、メンバーである審議委員の地位と権能の向上が図られました。
新日銀法の下では、審議委員6人と正副総裁の合計9人で構成される政策委員会が日銀の最高意思決定機関とされ、議長は9人の中から互選で選出されることとなりました。
審議委員は議長足りうる人材というのが前提であり、正副総裁候補でもあると考えるべきでしょう(ホームページに参考図をアップします。詳しくは末尾の追記をご覧ください)。審議委員をそうした観点から人選していれば、正副総裁候補の枯渇という事態には至りません。
今後の審議委員人事の際には、正副総裁と同様に事前の所信表明と公聴会が必須です。総裁は執行組織のトップという位置づけであり、「総裁が議長に選ばれる」のは当然ではないことを再認識しなくてなりません。
米国連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長、グリーンスパン前議長は、総裁ではありません。FRBの下に12の連邦銀行(執行組織)があり、それぞれに総裁がいます。
新日銀法の枠組みと財金分離の意味を正しく理解し、日本の中央銀行幹部にふさわしい人材を広く探し求めることが必要です。日銀総裁を、財務省と日銀の「たすきがけ」という内輪の申し合わせによって決めることは適当ではありません。そういう時代は終わったと考えるべきでしょう。
3.良薬は国に苦し
ところで、道路特定財源を巡る国会動向が佳境を迎えています。日銀総裁人事は後回しになる可能性が高いでしょう。
福田首相は、4月上旬の政策決定会合、中旬の蔵相・中央銀行総裁会議(G7)に間に合わせるように、またドタバタとやっつけ仕事のような人選をして決めようとするのでしょうか。もっとも、その頃には首相が交代している可能性もあります。何とも予測のつかない展開になってきました。
総裁を代行する白川副総裁ではG7に出席できないことを懸念する意見も聞かれますが、それは杞憂(きゆう)です。
上述のとおり、日銀の最高意思決定機関は政策委員会。その議長は審議委員と正副総裁の互選で選ばれます。互選で議長に選ばれた白川氏は、政策委員会議長として堂々とG7に出席すればよいでしょう。繰り返しになりますが、FRBのバーナンキ氏も議長です。連邦銀行総裁が出席しているわけではありません。
これまで日本国民が常識と思い込まされてきたことを見直す良い機会です。日本の政治経済を再生するためにも、「常識という名の非常識」を打ち壊していくことが必要でしょう。
道路特定財源を巡る問題も同じです。メルマガ160号(2008年1月19日)でもお伝えしましたが、論争の本質は「日本はまだ、昭和29年当時と同じ、緊急かつ暫定的に道路を造らなくてはならない戦後復興途上の国かどうか」という点です。答えは聞くまでもありません。
暫定税率を廃止すると、既に予算編成が終わっている地方が困るという常識にも、実はたいへんな非常識が含まれています。国の予算や税制が成立する前に、それを前提とした地方予算がどうして既に地方議会で成立しているのでしょうか。おかしな話です。
国会論戦と関係なく、最終的には政府案どおりになるという「独裁政治の常識」が、成立していない国の予算を前提とした地方予算が先に成立するという非常識を常識にしてしまいました。今後は、国と地方の会計年度を半年間程度ずらすことも議論しなくてはなりません。
「常識という名の非常識」を悪用し、税金や社会保険料を天下り組織や利権維持のために不公正に使っているのが官僚組織の常識です。政権与党が本当の常識を持ち合わせているならば、そうした不公正を是正しなければなりません。見て見ぬ振りをするならば、政権与党の常識は官僚組織の常識と同じであり、「常識という名の非常識」に過ぎません。
日銀問題も道路問題も、日本再生のための「気づき」の良い機会です。良薬とも言えます。変化を選択しなければ、今までどおりの政治経済の傾向が続くことになるでしょう。「良薬は口に苦し」という格言を思い出しました。
(追記)
日銀政策委員会の位置付けをご理解頂くための参考図を、僕のホームページの「今日の大塚耕平」の3月23日分にアップします。ご興味がある方はダウンロードしてください。